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岡山地方裁判所 昭和45年(わ)216号 判決 1973年3月23日

主文

被告人三名はいずれも無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

被告人三名は、外一一名の学生らと共に、昭和四五年四月一四日午後一時三〇分頃町長久永茂が看守する岡山県勝田郡奈義町豊沢一八八番地所在の同町役場構内に入り込み約一五分間うず巻きデモや集会を行い「日本原基地を徹去せよ」「東地区実弾射撃反対」等と怒号して同役場の執務を妨げたことにより、同役場総務係長野々上亨および助役鈴木重一から再三にわたり構外に退去するよう要求されたにも拘らず、外一一名の学生らと共謀のうえ、右構内に滞留して退去しなかつたものである。

というのである。

二、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  岡山県勝田郡奈義町と防衛庁とは、演習場使用協定を結んでおり、その第五条但書には、地元関係町の予解なしには日本原演習場における実弾射撃演習を行わない旨の定めがあるが、同町議会は、実弾射撃演習によつて影響を受ける関係部落の事前の予解をとりつけないで、昭和四五年四月九日、右第五条但書の規定にかかわらず同演習場東地区における実弾射撃演習を認める旨の決議をした。その結果同月一二日頃自衛隊から奈義町に対して、同月一八日以降実弾試射を行う旨の通告がなされた。これに対して、前記関係部落の宮内、成松、高円、広岡および豊沢の五部落民の中から抗議の声が起つた。特に宮内部落では実弾射撃演習を認めることに対しては、賛否相半ばするほど意見が分れており、右規定は関係部落の予解を必要とする趣旨であると主張する者もいた。反対者らが実弾射撃演習によつて生ずる被害として主張するところは、演習期間中地元民が入会地に入つて採草採木をすることができなくなること、山林が荒されること、騒音により乳牛の乳の出が悪くなるなど酪農に悪影響を及ぼすことなどであつた。

2  被告人らは、いずれも本件当時奈義町に居住していなかつたが、実弾射撃演習問題は独り奈義町住民だけの問題ではないとの立場に立ち、岡山の労働者、学生等で組織している日本原現地闘争委員会に所属しているものであるところ、同月一三日頃被告人三原が責任者となつて、習一四日に抗議デモを行うことを計画して、所轄警察署にその旨の申請をして許可を得た。一方、警察署から、習一四日にデモがあるとの連絡を受けた奈義町役場では、町長が課長会議を招集してその対策を協議し、もし、デモ隊が役場構内に入つたときには退去命令を出すことなどを打合わせ、その頃役場の入口に「執務に支障がありますので庁舎敷地内にデモ隊の立入りを禁止します」との町長名義の立札を立てた。

3  同月一四日(火曜日)午後一時二八分頃、被告人三名外一一名のデモ隊員は、いずれもヘルメットを着用し、さらにある者は手拭で覆面をして、被告人三原の指示により、同町豊沢一八八番地所在の金網の垣で囲繞された同町役場構内に、二列の縦隊を組んで、開かれていた南門から入り、構内の植込みのまわりを一周した後、北側にある役場庁舎の方を向いて止まり、午後一時三〇分頃から被告人有馬が、午後一時三五分頃から大橋明雄が、午後一時四〇分頃から大林義和がそれぞれデモ隊の先頭列外に出、デモ隊の方に向つて、肉声で演説をし、デモ隊員にその間、時々シュプレヒコールを行つた。これに対して役場側では、前日の打合わせに従い、野々上総務係長が、大橋が演説を始めた直後頃から一分間位の間隔を置いて三回位にわたり、携帯マイクで「職務の妨げになるので退去せよ」との趣旨の退去命令を発し、さらに鈴木重一助役が、大林が演説を始めた頃から同様にして三回位退去命令を発し、午後一時四三分頃には、町長からの要請で警備に当つていた守安輝次岡山県警察本部警備課長が、同様にして三回位退去するよう警告した。

4  右警察官の警告を聞いた被告人有馬は、大橋と相談のうえ、逮捕されることを避けるため構外へ出ることとして大林に演説をやめさせた。そして被告人三原を除く他の一三名のデモ隊員は、隊列を組んだまま右にまわつて南門に向いかけたところ、午後一時四五分頃右守安警察官の全員逮捕の命令により、全員逮捕された(第四、五回公判調書中証人守安輝次の、第六回公判調書中同河内惇郎の、第七回公判調書中同杉山誠二および同宮武俊美の、第八回公判調書中同高瀬平蔵の各供述記載中右認定に反する部分は、司法巡査作成の「現場写真の撮影報告について」と題する書面中番号10、13、14の写真、証人池本哲の当公判廷における供述(被告人内久保については、同証人に対する当裁判所の尋問調書)等に照らし、たやすく措信できない。)。

5  一方、被告人三原は、遅れてバスで来る予定の二、三名の者を迎えるため、午後一時三八、九分頃役場を出て四〇米余離れた豊沢十字路に行き、暫くバスの到着を待つたが、バスが来なかつたので再び役場に引き返し、午後一時四五分頃構内に入つて間もなく逮捕された(第六回公判調書中証人河内惇郎の供述記載部分には、被告人三原は午後一時四二分に役場に帰り、デモの先頭部分に歩み寄つた旨の記載があるが、司法巡査作成の「現場写真の撮影報告について」と題する書面中番号13の写真(午後一時四三分頃撮影)に同被告人の姿が全く見えないこと、第九回公判調書中証人奥義孝の供述記載部分および被告人三原の当公判廷における供述(被告人内久保については、相被告人三原および同有馬に対する第一二回公判調書中相被告人三原の供述記載部分)に照らして、たやすく措信できない。)

6  なお、同年二月一一日(祝日)には、約四百名の労働者や学生が奈義町役場の内外に集つて集会し、同月一五日(日曜日)にも同役場で集会をしたが、その際にはいずれも退去命令は発せられなかつた。

三、右事実に基づいて考えるに、町役場はその性質上一般公衆に開放された場所であり、前記のような立入禁止の立札を立てたからと言つて、平穏を害するような態様でない立入行為が、直ちに住居侵入罪を構成するようになるものでないことは勿論であるければも、その構内でデモ行進を行いあるいは集会を開くことは、役場が公衆に開放されている本来の目的に添うものではなく、その管理者の意思に反しては許されないところであるから、このような行為をした被告人らに対して退去命令を発することは、管理者に当然許されていることであつて、役場の管理者である町長から事前に命を受けた前記二名による退去命令をもつて違法であると言うことはできず、その後も滞留を続けた被告人らの行為は一応不退去罪に当るようにみえる。

しかしながら、被告人らが本件行為に出るに至つた直接の動機は、奈義町議会が昭和四五年四月九日、実弾射撃演習によつて影響を受ける関係部落の了解を得ずに、日本原演習場東地区における実弾射撃演習を認める決議をした(奈義町住民の中には、演習場使用協定第五条但書の「地元関係町」とは関係部落を意味すると主張する者もいた。)ことにあるが実弾射撃演習を認めることに対しては、関係部落民の中にも多数の反対者がおり、右決議に対しては部落民の中から抗議の声が起つており、まさに、自衛隊の実弾射撃演習を認めることの是非は、賛否両論が鋭く対立している喫緊の政治問題であつたと言うことができる。奈義町役場は、このような大きな政治問題をかかえた奈義町の政治の中心であると共に、同町議会が敢えて前記決議をしたことにより、その政治的見解の分裂の渦中において、一方当事者的立場に立つに至つたものである。このような本件当時の客観情勢と、役場が一般民家と異るのは勿論、他の官公庁などとも異り、まさに地方における政治の中心地であることをも考え併わせると、奈義町役場が、喫緊の政治問題について意見を表明する者に対して、ある程度寛容の態度を示すことを期待されたとしても、あながち不当であると言うことができない面がある。

被告人らは、本件当時奈義町に居住しておらず、自衛隊の実弾射撃演習によつて直接被害を受ける立場にはなかつたけれども、右演習問題は独り奈義町住民だけの問題ではないとの立場から、関係部落民のうち実弾演習に反対する者の側に立つてこれを支援し、対立する立場に立つ町議会にして抗議をするため本件行為に出たものであつて、その目的自体に何ら違法視すべき点はないこと、抗議の相手方が町議会であるから、抗議集会の場所を町役場構内に選んだことにもそれなりの理由があること(そうだからと言つて、役場構内で集会を開くことが直ちに適法となるわけではないこと勿論である。)、被告人らの抗議の態様は、一四名という比較的小人数の者が隊列を組み、且つ、全員ヘルメット着用、一部覆面という姿ではあるが、不穏な行動に走る様子もなく、比較的整然と行動していること、その滞留時間は全部で約一七分間、最初の退去命令を受けてから約一〇分間という短時間にすぎず、その結果も前記被告人らの行動の態様から判断して、実質的には役場の業務の遂行にほとんど支障を与えなかつたと推測されること、そして何よりも被告人らは、最後の段階では警察官の警告に応じて自ら退去しかけたこと、さらには前記奈義町役場の置かれていた立場および本件と同じ年の二月一一日および一五日には、休日であつたとは言え多数の者が同じ場所で集会を開いたのに退去命令が発せられなかつたことなどの事情を総合して考えると、前記のとおり本件退去命令には違法な点はないけれども、その一〇分後には自ら退去しかけた被告人らの行為は、前記町議会の決議に対して反対の政治的見解を表明するための行動として社会的に是認される範囲内のもので、いまだ不退去罪が予定している程度の実質的な違法性をそなえるほどの時間、態様において滞留を続けたものとは言えず、結局不退去罪を構成しないものと言うべきである。

なお、前記のとおり、被告人三原は他のデモ隊員と行動を異にしているが、むしろ退去命令を受けて間もなくから逮捕される直前まで構外に出ていたのであつて、その行為の違法性の程度の点について、他の者と別異に評価すべき理由はない。

四、よつて、本件公訴事実は、その証明が十分でないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条に従い、被告人三名に対し無罪の言渡しをする。

よつて、主文のとおり判決する。

(瀬戸正義)

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